福岡高等裁判所 平成8年(う)48号 判決 1996年6月25日
主文
本件控訴を棄却する。
当審における未決勾留日数中一一〇日を原判決の刑に算入する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人桑原昭煕提出の控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官山下永壽提出の答弁書に、各記載されているとおりであるから、これらを引用する。
第一 事実誤認、理由齟齬の主張について
所論は、要するに、原判決は、被告人において、被害者が校則違反のスカート丈を元に戻させようとした被告人の指示に直ちに従わなかったばかりでなく「わかっちょる」と口答えするなどしたために激怒し、力を込めて被害者の肩や右側頭部を突くなどの暴行を加えた旨認定判示しているが、被告人は「激怒し」て本件犯行に及んだものでなく、被害者の校則違反を注意、是正し、被害者が校則に違反することから予想される不利益処分を受けることがないようその将来を考えて教育的立場から指導し、かつ、校則違反を見過ごすことは他生徒の手前良くなく、問題行動を起こしやすい夏休み前だけにとりわけ筋を通すべきであるとの信念に基づいて本件所為に及んだものである、また被告人が被害者を突くという行為に出たのは、被害者が口答えをしたためでなく被害者が被告人の襟首を掴んできたためであり、更に被告人は手加減しながら突いたのであって力を込めて突くようなこともしていないから、原判決が、あたかも被告人において、もっぱら被害者の態度に誘発された私的な怒りの感情に基づき死を招く程の激しい暴行を加えたかのように認定判示しているのは事実を誤認したものであり、加えて、原判決が「量刑事情」中の「犯行に至る経緯」の項では、「腹立たしくなり」「かっとなって咄嗟に犯行に及んだ」と認定しながら、「犯罪事実」中では前記のように「激怒し」と、また「量刑事情」中の「特に考慮した事情」の項では、「怒りの余り我を忘れて」「短絡的に激怒して」「憤激のあまり暴行を加え」とそれぞれ異なった判示をしているのは理由に齟齬がある、というのである。
しかし、原判決挙示の関係各証拠によれば、原判決に所論のいうような事実誤認があるとは認められず、また原判決が本件犯行当時の被告人の心理状態について犯罪事実の摘示や量刑事情の説示の中で若干ニュアンスの異なる用語や表現方法を用いているとしても、本件の事実関係に即してみるならば、それが所論のいうような理由齟齬にあたるとは考えられない。以下、所論にかんがみ理由を補足する。
まず、被告人が被害者に暴行を加えるに至った経緯及びその態様についてみると、右関係各証拠によれば、平成七年七月一七日当時、被告人は学校法人K大学附属女子高等学校で商業簿記を担当し、二年一組の副担任をしていた教諭であり、被害者は同校二年一組の生徒であったこと、被告人は一学期の簿記のテストで所定の成績に達していなかった二年一組の生徒を対象として正規のカリキュラムには属しない再々テストをすることを考え、同日放課後の午後三時四〇分から二年一組の教室において被告人の監督の下でこれを実施したこと、被害者は右テストを受けなければならない対象者に含まれていなかったが、同テストが始まったとき教室内の自分の席に座っていて、下校時の身だしなみのために机の上に鏡を立てて櫛で髪の毛をといていたこと、これを見つけた被告人は被害者に「早く帰らんか」と言い、すぐに被害者が立ち上がらなかったことから被害者の席に近寄り重ねて同様のことを申し向けたこと、これに対し、被害者は「わかっちょうちゃ」と答え、カバンを肩にかけて教室の後ろの出口に向かって歩いていったが、出口近くの教室の壁に設置されていた鏡の前で立ち止まり再びそこで髪を両手で整えるような仕草をしたこと、その際被害者のスカートのウェスト部分が外側に折り返されているのが見え、このような方法でスカート丈を短くすることは校則で禁止されているところから、被告人は「お前スカートを折り曲げちょろうが、下ろせ。早くおろさんか。」などといって、教室から出ようとしていた被害者の背中を押したため、被害者は教室の出入口付近で四つん這いの形で倒れ、肩にかけていたカバンが床に落ち、在中のエチケットブラシ等が廊下に散乱したこと、倒れた被害者はすぐに立ち上がって被告人に対し、「そんなんしたら、直されんやん」などといいながら教室から廊下に出ると、被告人は「何ちや」といいながら被害者を押すようにして続いて廊下に出たこと、廊下で被告人は被害者と向き合って立った状態で、肩より高く腕を振り上げて被害者の頬付近を平手で数回殴打し、叩かれて後ずさりする同女の肩部付近を突いたところ、同女は窓に設置された鉄製の手摺りに後頭部を打ちつけ、同女が被告人の更なる暴行を避けようとして被告人の身体を押し返すようにすると、更に同女の右側頭部付近を下から上に突き上げたため、同女はコンクリートの柱に頭頂部あたりをぶつけた上、廊下の床上に倒れ顔面蒼白となって失神し翌一八日午後二時三七分収容先の病院で急性脳腫脹のため死亡したこと、以上の各事実が認められる。
所論は、被告人と被害者が廊下で向かい合った際、被害者が被告人の襟首を掴んできたため被告人が相手の身体を突き退けたかのように主張し、被告人の供述中にこれに沿う部分がないわけではないが、前示の教室の中で多数の生徒の面前で四つん這いに突き転ばされた被害者が被告人に対して「そんなんしたら、直されんやん」と抗議した事実は認められるものの、その後被告人が被害者の頬を叩いたり身体を突いたりした際に被害者が被告人に対して反撃に出たような事実は多数目撃者の供述をもってしても認められず、たかだか、Sの検察官調書、司法警察員作成の実況見分調書(検甲二九号)等によって、被害者が肩部付近を突かれ、後頭部を窓の手摺りに打ちつけた後、被告人の更なる暴行を避けようとして被害者が被告人を押し返そうとしたことが窺われるだけであって、被害者が積極的に被告人に立ち向かう形でその襟首を掴んできたとの被告人の供述部分はにわかに措信しがたいところである。
次に、被告人が被害者に対し前示の暴行を加えたときの被告人の心理状態については、被告人が被害者に対し教室から出るように指導したのに対し、被害者が即座にこれに従わなかったという事情があることは認められるものの、このとき被告人は二年一組での再々テストをしていて右テストの妨げになるとの理由から被害者を退席させようとしたのであるから、被害者が教室を出たところで指導の目的を一応達成したものと考えられるのに、そこで終わることなく、廊下に出る直前に被害者がスカートのウェスト部分を折り返し裾を短くしているのを発見すると、テストの監督をしなければならないという自己の立場を忘れ被害者のスカートをおろさせることにのみ執心し、教室内で被害者を押して突き転ばすといういかなる教育的意味があるか理解に苦しむような行動に出た上、被害者から「そんなんしたら、直されんやん」と抗議されると廊下に更に押し出し前記のような暴行に及んでいる状況からみれば、被告人が冷静に校則違反是正のための指導をして被害者にこれに従う余裕を与えたものとは到底認められず、被告人自身この点について「なめられてたまるかという感情があり怒っていた状態でしたので、強く指導しようという思いになって力を込めて後ろにのけぞるようになるように突きを入れました。」(被告人の検察官調書・検乙四号)と述べているように、明らかに被告人の態度は冷静さを失ったもので、被告人が被害者に加えた本件暴行は教師の生徒に対する指導とはかけはなれた違法な体罰であり、前記のような本件暴行の態様と照らし合わせてみるならば、被告人が感情的に「激怒し」て被害者にこれを加えた事実を優に認定することができるものである。
そして、原判決が「量刑事情」中の「犯行に至る経緯」の項で、「腹立たしくなり」「かっとなって咄嗟に犯行に及んだ」と認定判示しているところと、「犯罪事実」中で「激怒し」と、また「量刑事情」中の「特に考慮した事情」の項で、「怒りの余り我を忘れて」「短絡的に激怒して」「憤激のあまり暴行を加え」と認定判示している所とは、いずれも被告人の本件犯行時の心理状態を説示するものとして、用語の違いこそあれ、それが実体を反映している点で違いがあるとは考えられないから、これが所論のいうような理由齟齬にあたらないことは明らかである。論旨はいずれも採用できない。
第二 量刑不当の主張について
所論は、要するに、被告人を懲役二年に処した原判決の量刑は、その刑期の点においても、またその刑の執行を猶予しなかった点においても重すぎて不当である、というのである。
そこで、原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討するに、本件は、前述したとおり、平成七年七月一七日午後三時四五分ころ、原判示の学校法人K大学附属女子高等学校本館四階二年一組の教室内及び教室前廊下において、同高校教諭であった被告人が、二年一組の生徒であった被害者に対し、教室の外に出るように命じたにもかかわらず即座に席を立たなかったばかりか、校則違反のスカート丈を元に戻させようとした被告人の指示にも素直に従わず、その過程で被告人に口答えと受け取れるような言動をしたことに激怒し、相手が女生徒であることを意に介せず何回か強く顔面を平手打ちにした上力を込めて同女の肩部付近を二回連続して突き、さらに左手で右側頭部付近を下から上に突き上げるなどの暴行を加え、同女の頭部をコンクリート柱等に激突させて頭部打撲等の傷害を負わせ、よって同月一八日午後二時三七分、原判示の飯塚病院において、右傷害に基づく急性脳腫脹(脳浮腫)により死亡させたという傷害致死の事案であって、一六歳の若さで思いもかけないことから突如として一命を奪われることとなった被害者本人の無念さはいうに及ばず、これまで愛情を込めて育てあげてきてその成長を楽しみにしていた両親や身内の者が被害者を喪ったことにより受けた悲しみの深さには察するに余るものがある。同校では服装等について細かな校則が定められ、躾教育重視の方針からこの点について日頃厳しい指導がなされ、表向きは体罰が禁止されていたものの一部教師の間では口で注意しても改めない場合に体罰を用いて生徒の指導にあたることが必ずしも珍しいことではなく、かつこれが許されるという風潮が弥漫していて、平成五年四月下旬に同校で起こった他の教師による体罰事件では、被害者の生徒が軽度のむち打ち症との診断を受け、保護者から刑事の被害届や民事の損害賠償請求が出されたことがあり、その際、校長から全教師に対して生徒への教育のあり方や体罰を加えてならないことについて指導がなされたことが認められる。かかる状況の中で被告人は、生徒の間で体罰を加えることの少なくない教師として受け止められていた事情が窺われ、平成七年六月一四日にも、被告人が同校の一女生徒に対し教科書を持ち帰っているかどうかの確認をするためにカバンの中を見せろといって追い回し、足を引っ張って階段を引きずり降ろす等の暴行を加えるという事件を起こしたことが認められるのに、また再び今回の事件を生ぜしめたものである。高校生に対する生活指導を含め教育の現場においては当然のことながら対象者の人格の完成度が低い故に多大の忍耐力が要求されることは多言を要しないところであり、生徒に対する懲戒権について定めた学校教育法一一条がただし書で体罰を禁止しているのは、体罰がとかく感情的行為と区別し難い一面を具有している上、それらを加えられる者の人格の尊厳を著しく傷つけ、相互の信頼と尊敬を基調とする教育の根本理念と背馳しその自己否定につながるおそれがあるからであって、問題生徒の数が増え問題性もより深化して教師の指導がますます困難の度を加えつつある現状を前提としても、その趣旨は学校教育の現場においてなによりも尊重、遵守されなければならないことはいうまでもない。ましてや、生徒が反抗的態度を取ったからと言って、教師が感情的になって暴行を振るうことは厳に戒められるべきことである。被告人の本件における暴行は、被害者が被告人の指導に直ちに素直に従わなかったという事情があるにしても、それ以上に出て教師に対して実力をもって反抗したような事情は認められず、せいぜい被告人に突き転ばされた被害者が「そんなんしたら、直されんやん」と抗議し、更に加えられた暴行を被害者が避けようとして被告人を押し返すようにした事情が窺われるだけであるのに、被告人はこれを反抗的態度と受け取り、「なめられてたまるか」という気持ちから被害者に対し一方的に暴行を加えたものであって、当初の目的は正当であったかも知れないが、その手段方法は被害者を突き転ばした以降は明らかに正当性の範囲を逸脱していた上、被害者との対応の過程でその当初の目的すら忘れ去り、遂には教育の名に値しない私憤に由来する暴行に終わったもので、まさしく違法な体罰であったといわなければならない。被害者の遺族との間での示談等は未成立であり、遺族らの被告人に対する処罰感情には未だ極めて厳しいものがあることも無理からぬものと理解できる。
そうすると、被告人は、昭和四三年の大学卒業後本件に至るまで一貫してK大学附属女子高等学校の教諭としての勤務を続け、その間に卓球クラブの指導に熱心に当たり、また、進路指導部長として積極的に活動し、いずれもそれなりに成果を上げてきたことなどから、被告人を慕う生徒たちも多数いたこと、本件犯行を理由として平成七年八月八日付けで懲戒解雇の処分を受け、更に本件に関するマスコミ報道等により相応以上の社会的制裁を受けたとみられること、被告人と妻との間には大学生の子供二人があり、被告人が服役することになれば、これら家族の生活にも少なからぬ影響が及ぶことが予想されること、その他被告人の本件に対する反省状況等、被告人のために酌むべき諸事情を十分併せ考慮しても、被告人の刑事責任は重いといわなければならず、本件はその刑の執行を猶予するのが相当の事案であるとは考え難く、被告人を懲役二年の実刑に処した原判決の量刑は、刑期の点を含めまことにやむを得ないところであって、これが重すぎて不当であるとは考えられない。論旨は理由がない。
よって、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却し、刑法二一条を適用して当審における未決勾留日数中一一〇日を原判決の刑に算入することとして、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 神作良二 裁判官 谷敏行 裁判官 林秀文)